中根喜三郎さんの経歴やお店の情報など!林家一門との関係も!

シェアする

スポンサード リンク

根喜三郎(なかねきさぶろう)さんをご存知ですか?

東京に4代つづく和竿の職人さんです。

実はこの方は海老名香代子さんのお兄さんだそうです。

海老名香代子さんは

ef2cef9b

すでに亡くなった落語家林家三平さんの奥さん

お子さんは9代目林家 正蔵(はやしや しょうぞう)

image

長女は海老名美どりさんで

その夫が峰隆太さん

次女は歌手の泰葉

2代目林家三平が次男

ご次男は三平を襲名されていたんですね。

お父さんである先代の三平さんがとても印象的でしたが。

002ca5d0
中根喜三郎さんと香代子さんの実家は

釣り竿屋さん

松本東作と言う人が江戸で釣竿を作り始めたのが

現在の和竿の原型だそうです。

中根喜三郎さんの高祖父の音吉氏はその東作に弟子入りして、

技術を修得し「釣音」として浅草で独立しました。

その長男の忠吉氏が初代「竿忠」を名乗り、

中根さんは4代目「竿忠」にあたるそうです。

もともと中根さんは釣り竿の職人になるつもりは
無かったそうです。

中根さんは3男、

一番上のお兄さんが継ぐかもしれなかった

釣り竿の職人。

でも戦争で状況は一変。

東京大空襲で

ご両親と兄、弟さんが死亡。

中根さんは香代子さんと二人きりに

なってしまいました。

香代子さんは

「竿忠」のファンだった

落語家の

三代目三遊亭金馬さんに引き取られたそうです。

そのことが香代子さんが三平さんに嫁ぐきっかけになったみたいですね

三代目三遊亭金馬さんは千葉に釣りに行った際に

足を切断するほどの事故にあったそうです。

事故後も講壇に登った金馬さんですが

1964年に肝硬変で亡くなったそうです。

お酒もお好きだったのかもしれないですね。

スポンサード リンク

中根喜三郎さんは

竿作りの修行ののちに

「竿忠」の4代目にとして

現在も和竿を作り続けているそうです。
香代子さんのご主人初代三平さん亡きあと

甥である9代目林家 正蔵さんの後見人も

務めたそうです。

ほとんど

マスコミには

登場しない

中根喜三郎さんが

兄妹で

徹子の部屋に登場するということで

注目ですね。

香代子さんは

戦争で東京が焼野原に

なる前の下町の様子や

家族の様子を著書で語っています。

その描写が知らない時代ながら

わたしにも良く伝わってきました。

「あさりからしじみよー」
遠くに近くに聞こえる、もの売りの声から朝が始まります。
祖母が長火鉢の端で、キセルの吸いがらをはたく音で
母がすっと起き、シャッ、シャッと手早く、
着物とかっぽう着を身につけ、髪を撫でつけながら、
あわてて下へ降りて行きます。
間口の広い家の雨戸をゴトゴト開ける音、
はたきをかける音、掃き出す音、
丸い大きな卓袱台をギイギイ脚を出して組み立て、
お茶椀やお皿を置く音、まな板でトントン、
トントン・・・・・・の頃には、
ご飯をおはちに取る匂い、そしておみおつけの香りがプーンと。
一日の生活様式も明治時代以来のしきたりどおり、
型が決まっていたものです。
祖父母が睨みをきかせていて、店の仕事は祖父が、
家内の取締りは祖母がとりしきっていました。
朝脱いだ寝巻きやふとんのたたみ方、
しまい方、洗顔、朝食など、子供たちもちゃんとしないと叱られます。
母は色白の頬を赤くして、
きゃしゃな体をきびきびと動かして、
朝の秒刻みの忙しさをこなしていました。
わたしたちが、
「行ってきます」
と、次々に学校へ出かける頃には、
入口に敷きつめられた玉石は、水で洗い清められています。
四人も子供がいるので、部屋は散らかっていましたが、
店の中は朝晩塵一つなく掃除されていたのです。
わたしは、兄妹四人の末娘でした。

海老名香代子著『竿忠の家』より

戦争前の平和な昭和の日常が伝わってきますよね。
香代子さんは

落語家の師匠一家のおかみさんとして
何十年も一家を切り盛りしてきました。
小さいころ見てきた
お母さんやお祖母さんが
家の中をきびきびと
仕切る様子が今の原型なのかもしれませんね。
下町に起こしの際には
竿忠に寄ってみてはいかがでしょうか
竿忠
03-3803-1877

10:00-17:00
毎週日曜日休み

東京都荒川区南千住5-11-14
カード不可

JR南千住駅から徒歩約5分
首都高速道路向島出口から約7分

スポンサード リンク