諸井清二(漂流おじさん)の現在は?妻のことや年齢と健康状態も気になる!

シェアする

こんにちは。
トミーです。

ずいぶん春らしい陽気になってきましたが
それとともにつらいのが
花粉ですね。

わたしの勤務先のクリニックは
先日来院患者数の記録を更新しました。
もう待合室には座るところもなく

立っていたり
いったん帰宅されて、
時間を見て戻って来られたリ。

そしてその分私たちスタッフ
もちろん先生もですが
休憩時間が取れず!

きのうも立ったまま
患者さんの眼の届かない死角の
場所でおにぎりをむさぼり、

そんな感じです。
商売繁盛なのはいいことですが
立ちっぱなしはなかなかきついですね~。

さて、きょうは
テレビ番組の表を見ていたら
「漂流おじおさん」なる文字が・・

漂流と言えば
むかーし
石原裕次郎さんが主演した

「太平洋ひとりぼっち」
という映画を思い出します。

この映画は堀江謙一さんという冒険家が
太平洋を3か月かけてヨットで横断し

西宮からサンフランシスコに向かう
までの航海日記が原作です。

そうか今改めて確認すると
この航海日記は
遭難とか漂流とかではなかったんですね

では今回の漂流おじさんって誰?

92日間にわたって太平洋えお漂流し
奇跡の生還を遂げた人物は

諸井清二(もろいせいじ)さん

おそらく生まれは1938年位の生まれ。
ご存命なら現在79歳くらい。

諸井清二さんが漂流することになったいきさつ

諸井清二さんは1994年当時

大阪府茨木市で農業を営んでおりました。
著者によると汽船に乗っていたともあるから
汽船乗りをやめてから農家になったのか

Sponsored Link


そんな諸井清二さんは
1994年の関西国際空港の開港イベントの
環太平洋ヨットレースに

出場するため仕事を辞めて
自分のヨット(酒呑童子)
でロサンゼルスに向かいます。

そして航海中に大しけにあい
ヨットが転覆しマストが折れて
舵が効かなくなります。

そして漂流してしまうんですね。
漂流は92日間にもわたるんですが
奇跡の生還を遂げます。

諸井清二さんは著書
「九十二日目の天国」の中に
漂流の記録を残しています。

漂流記録の一部です。

3月8日
航行不能となる

3月13日
東から西へ船が一隻。
煙突の黄色い貨物船。
合図をしたが反応なし。

4月27日
何もかも残り少なくて不安かな
助けてと合図をすれどノーアンサー

4月30日
助け船まだ来ぬ先から乗る準備
いま天気どこまで続くかわが命

5月2日
雨。叫べども答えてくれないアホウドリ
貨物船、また行ってしまった10隻目

5月3日
霧。食料は6月中は何とかなりそう。
霧晴れるが曇り空
漂流も2か月たつと歌も出ず

5月15日
晴れ。どこまでも希望を捨てずに。
最後のチャンスが来るかもしれない。

6月2日
87日目雨。八方ふさがり。
どうすればいいかわからない。
もうこれ以上進めない。
人間は過去を振り返ることはできても
過去に戻ることはできない。
さすがに20日間一隻の船もいないと、
あせりが出てくる。
天候もいっこうに回復しそうにないし。
このまま助からないようにも思えてくる

6月4日
行方不明のまま帰れないとかもしれないと
思いはじめた。
頑張れ。清二。

6月7日
青い空。白い雲。
光り輝く水平線の中から、
一隻の船が。迷い子になったわが子を
見つけた母親のように汽笛を鳴らしながら、
一直線にこちらへやってきた。
そして、静かに私の横に止まった。

92日間も漂流し、
その間しっかり記録に残した残り
諸井清二さんの冷静ぶりには

驚きです。
日記を詩で書いている日もありますね。
さすがに2か月目には歌も出てこないと
書かれていますが

さらにひと月漂流して
諦めないこころを持ち続けて
来たんですからね。

食料がそこそこ残っていたことも
心を強くした要因だったかもしれませんが
それだけじゃない諸井清二さんの

なんとか乗り切ろうという
強くて明るい気持ちが
92日間を乗り越えられた要因ではないでしょうか。

さらに転覆した際に
食料品が船底でへ泥まみれになったそうですが
きちんと包装されていた
ボンカレーやカロリーメイト、
ザ・カルシウムは無事だったんだとか

漂流日記で「大塚製品は表彰ものだ」と絶賛。
さらに漂流数日目に禁じていた
アルコールを解禁したこと

残り水が少ないから水の大切さが身に染みる。
残り少ないプロパンガスだから一分間たりとも
ムダにできない。
こんなことを教えてくれる、漂流万歳!

と大変な状況にも感謝し
学び楽しもうという姿勢。
こういう人だかからこそ
92日間も頑張れたんですね。

さて、諸井清二さんの妻千恵子さんは
夫の捜索願を出しながら
無事を祈ります。

そしてある日夢の中で
「6月7日に韓国の釜山港の帰る」という夢を見ます。
そしてその夢のとおりに諸井清二さんは生還しました。

諸井清二さんは帰還して3年後に
遭難した原因が命綱のハーネスの欠陥が原因だとして
製造会社と販売会社に訴訟を起こし、
翌年製造会社が800万円の和解金を支払いました。

その後の諸井清二さんと千恵子さんは?

漂流から帰還後、
諸井清二さんは沖縄の名護市に移住。
千恵子さんと珈琲栽培を始めます。

最近の諸井清二さんご夫妻の

近況はよくわからないんですが

元気に沖縄で珈琲を栽培されている

と思いますよ。

3月23日の「衝撃のアノ人にあてみたい」で

元気な姿を拝見できるといいですね。

シェアする

フォローする