東京ローズとは?正体は誰なのか調べてみた!戸栗郁子や須山芳江と関係あるの?

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こんにちは。
トミーです。

梅雨だというのに全く雨が降る雰囲気じゃないですが大丈夫かな?

ところでみなさんは
東京ローズってご存知ですか?
第2次世界大戦中に

アメリカ兵の戦意を喪失させるために
アメリカ兵に向けてラジオ放送を行っていた

アナウンサーです。
なんでも数人いたようなんですが、確認されている人物は2人だけなんですね。

「ゼロ・アワー」放送開始

アメリカ軍。オーストラリア軍のをはじめとするR年号国軍向けのプロガンだ放送として放送が始まった「セロ・アワー」は1Q943年3月から放送開始となりました。

その放送が敵方日本からの放送だったにもかかわらずアメリカ兵に大人気となり女性アナウンサーは「東京ローズ」と呼ばれるようになりました。

終戦後あの放送を担当したアナウンサーは誰だ?とアメリカ人記者が「東京ローズ」探しに夢中となったそうです。

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どんな内容を放送していたの?

「太平洋のみなしごさん、あなたたちのお船は全部沈んじゃったのよ。どうやってお家に帰るつもり?」

「大きなお船の中はさぞかし快適でしょうね。でも、もうすぐ海の底に沈んでしまうと思えば可哀想な気もするわ。今日はいいお天気なのに、何人の水兵さんが命を落とすことになるのでしょうね。」

その内容は、不安を煽るためのデタラメばかりではなく、捕虜の米兵などから聞きだした情報を元に作られていました。そのため現実味があり、恐怖心を抱く兵士も少なくありませんでした。

「今頃あなた達の奥さんや恋人は他の男とよろしくやっている」

「貴方が狐の穴みたいなところで戦っている間、貴方の奥さんや恋人はきっと淋しい思いをしているわ。そんな女には必ず誘惑者が現れるのよ。初めてのデートではキスまでするのかしら……」

このような内容は兵士を魅了するその語り口で兵士を絶望させる戦意喪失感を越えて、いつしか多数の兵士たちのあこがれや親しみに変わっていきました。

アナウンサーはどんな人?

「ゼロ・アワー」に参加したのは複数いましたが
男性アナウンサーは当時捕虜となっていたアメリカ人やオーストラリア人のアナウンサーが放送を担当していました。

女性アナウンサーに関しても数人いたという話ですが実際に「自分です」と名乗り出たのは一人だったんです。
それがアイバ=トグリ=ダキノさん
戸栗郁子さんです。

実際の調査でもうひとり確認されています。それが須山芳江さんです。

戸栗郁子さんと須山芳江さん
二人はどのような経緯で「東京ローズ」として放送にかかわったのでしょうか?

アイバ・戸栗・ダキノさんの経歴

旧姓:戸栗郁子

生年月日:1916年7月4日
没年月日:2006年9月2日(満90歳)

アイバ・戸栗・ダキノさんは
日系アメリカ2世としてカリフォルニア州で生まれます。お父さんは山梨出身の方で輸入雑貨店を営んでいました。

ご両親の方針でアメリカ風のしつけと教育を受け日本語の正式な教育を受ける機会はありませんでした。

1941年日本にいる叔母さんのお見舞いのため半年の予定で日本に来日しましたが戦局の悪化に伴いアメリカに戻れなくなりました。

その間にアメリカのお母さんも強制収容所に向かう途中で病死していました。

日本の特高警察からは何度も日本国籍への帰化強要されるも応じることはありませんでした。

日本での生活のために1942年から日本放送協会海外局米州部業務班でタイピストとして働く傍ら日本軍の参謀本部で対外宣伝ラジオ番組(プロパガンダ)のスタッフとなります。

最初は日本語の原稿を英訳する仕事をしていましたが1942年11月からアナウンサーとしても参加するようになりました。

主戦後の1945年日系ポルトガル人の同盟通信社員のフィリップ・ダキノ氏と結婚しました。

アナウンサーとしては「孤独のアン」と名乗っていました。

反逆罪として裁判に

「東京ローズ」を見つけたいというアメリカの記者が来日。その記者によってアイバ・戸栗・ダキノさんが発見され、「東京ローズ」として報道されました。当時は「東京ローズ」をめぐってマスコミの取材合戦は激しかったそうです。

契約金2000ドル(日本円で600万円)

当初アメリカ人記者と間で独占取材ということで契約金が2000ドル提示されたそうですが結局「東京ローズ」が日本でも評判となり取材合戦が過熱化し独占取材の契約が守られず契約金の2000ドルは結局支払われなかったということです

この契約金をめぐって戸栗さんはバッシングされています。

その後アメリカに帰国しますが今度は国家反逆罪で裁判にかけられます。

判決では放送に参加したこと自体が問題とされ、自発的にプロパガンダに参加したとして有罪となり、禁錮10年と罰金1万ドル、アメリカ市民権剥奪などを言い渡され、女性として史上初の国家反逆罪となりました。

その後模範囚として6年2か月で釈放されています。

その後日系アメリカ人市民協会やアメリカ人日本特派員記者がスクープ報道した内容により裁判の内容にねつ造があったことなどが報道され、
1977年特赦によりアメリカ人の国籍を回復しました。

戸栗郁子さんの晩年は?

戸栗郁子さんはお父さんが創業した戸栗商店で晩年まで働きました。
その後「困難な時も米国籍を捨てとしてうとしなかった“愛国的市民”」として表彰されています。

名誉が回復してよかったですね。

戸栗郁子さんは2006年に脳卒中のため亡くなりました。

もう1人の「東京ローズ」について

残っている録音テープなどから
「東京ローズ」にもう一人須山芳子さんも参加していたとわかっています。

須山芳江さんの経歴は?

須山芳江さんについてはあまり情報が残っていないのが現状です。

須山芳江さんは1920年生まれでバンクーバー育ち。日本初の女性英語あぬんさーでした。

須山芳江さんについては「東京ローズ」の放送期間、内容、声紋などから須山芳江さんと推測されています。

須山芳江さんは「南京の鶯(うぐいす)」と呼ばれていました。

須山芳江さんは1949年7月18日横浜で映画を観た帰路、アメリカ軍兵士の飲酒運転により事故死しましたが日本の警察にも在日米軍にも記録が残っていません。

現在でもその死因については謎です。

時代の波に翻弄された女性の話。
平和な現代に住んでるとなんてひどい時代だったんだろうってほんとに
悲しくなります。

アメリカ人として生きてきたのに反逆罪で何年も投獄されたり
不慮の事故で亡くなったり。須山芳江さんに関しては記録が残っていないことなどその死は謎ですよね。

戦時中の不幸といえば中国で女優として活躍しながら裁判にかけられた山口淑子さんなんかも思い出されます。

過去の悲しい出来事を忘れることなく平和に感謝して二度と過ちを起こさない時代にしていきたいですね。

最後までよんでいただきありがとうございました。

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