山本富士子の今現在は?夫や息子も気になる!宇野昌磨との関係についても!

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こんにちは。トミーです。
今この記事を書いているのは真夏の7月20日です。まだまだ暑さは続きます。昨日はテレビでこの時期恒例と言ってもいい心霊現象を扱った番組が放送されていました。
小さいころ活躍していた女優の大原麗子さんの魂を憑依させてその人物が大原さんとして弟さんと交信するという企画をみて、ちょっとしんみりしました。
とってもきれいな女優さんだったのにな、と。女優さんも最近は大御所と言われる方々もお亡くなりになる方もいて昭和がほんとに遠くなっていくななんて思いました。
さて、舞台を中心に活躍されている山本富士子さんもそんな大御所の一人。山本富士子さんはほとんどテレビにはご出演されませんが。でもやはり大物女優としての風格がすごいとわたしは感じていいます。
そんな山本富士子さんの現在の様子やご家族のことなどわかる範囲で調べてみました。

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山本富士子プロフィール

氏名:山本富士子(やまもとふじこ)

生年月日:1931年12月11日(85才)

出身地:大阪府大阪市西区立売堀

身長:159㎝

血液型:AB型

山本富士子さんは大阪のお金持ちのお嬢さんでした。当時としては珍しい高校も卒業されています。ご実家が進駐軍に接収されたというから相当なお金持ちだったと思います。

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芸能界入りのきっかけ

山本富士子さんはス日本のご出身。ミスから女優さんに転身した第1号と言われています。当時の応募は700人だったとかやはり今よりは相当少ないですね。その中でもやはり山本富士子さんの美貌は群を抜いていたんではないかと思いますよ。
ミスに選ばれて、日本を代表して親善のためにアメリカへ渡米したこともあったそうです。もちろんミスのころからスカウトはじゃんじゃんきていたそうですが当初はあまり芸能界には興味がなかったそう。普通に就職するべく銀行の就職試験など受けたそうですが、残念ながら不採用に。後日その理由として銀行の担当者が、あまりの美貌に男性社員の仕事に支障をきたしかねないからということだったそうです。ほんとかな?
最近はわかりませんが銀行は結婚すれば退職というのがお決まりだったから、もし山本富士子さんが女優にならずに銀行の行員さんになったら、あっという間にエリート銀行マンの奥様になっていたに違いありません。
ですが結局山本富士子さんは女優の道を選びます。1953年に大映に入社します。
昔は映画会社ごとの専属契約だったんですね。今は芸能事務所に籍を置いてそこからテレビなり、映画なりの仕事のオファーを受けるという形だと思うんです。
まったく演技の未経験だった山本富士子さんは契約当初安いギャラで契約したそう。ま育ててもらうという思いもあったんでしょうね。で3年たったら自由契約にしてもらうという約束だったにもかかわらずその約束を大映側に反故にされます。
その間に女優として開花した山本富士子さんは数々の作品に出演、演技も高い評価を受けて、
『夜の河』(1956)ではNHK女優賞を受賞、また『白鷺』(1959)この2作で彼女は第9回ブルーリボン女優主演賞を受賞。まさに大映の顔になったんですね。
1963年に大映側にフリーになることを申し入れますが、社長の逆鱗に触れ、当時の映画会社の協定である五社協定の圧力がかかり結局それ以降、現在まで山本富士子さんは映画には出演していません。
Wikipediaで山本富士子さんの出演映画を数えたら1953年から1963年までの11年の間に105本あまりの映画に出演しています。すごいです。そして1963年以降ほんとに一本も映画には出演されていないんです。
オファーがあったこともあるそうなんですがお断りしたんだとか。。やはり映画界へのとトラウマもあるのかもしれません。

五社協定って?

大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が1953年9月10日に調印した専属監督・俳優らに関する協定。後に日活が加わり、新東宝が倒産するまでの3年間は六社協定となっていた。   Wikipediaより

結局は俳優さんの貸し借り禁止条約みたいなものですかね。今じゃ考えられない人権侵害。でも時々芸能事務所を辞めた後しばらく仕事が無い状態になる、と聞いたこともあるので基本的にはあまり変わって無いのかな?

映画界を去ったあとは?

山本富士子さんは映画界から事実上締め出し、最近でいうとこの「干された」状態になってしまたんですね。こういう今じゃ考えられない差別というか人権侵害のような協定では山本富士子さん以外にたくんの俳優さんの将来をつぶしてしまいました。
山本富士子さんはその後ドラマや舞台で活躍することになります。中には一切俳優として活動できなかった方や自殺に追い込まれた方もいらっしゃるようです。
1969年より舞台出演が中心になっていま2002年まで精力的に出演されています。1980年代までは毎年のように新作舞台にご出演。
最近はほとんど舞台出演もないようです。まあもう85歳ですからね。

結婚

山本富士子さんは1962年に作曲家の山本丈晴氏と結婚し1968年に長男が誕生しています。
ご主人の山本丈晴氏は2011年9月7日にお亡くなりになっています。ご長男もすでに家庭をもたれ、お孫さんもいるそうです。

ご主人との出会いは?

歌手として レコードも出していた山本富士子さんは歌の録音のために古賀政男氏のご自宅へレッスンに向かいました。そのことが縁で古賀政男氏のお弟子さんだった丈晴さんと出会ったそうです。当時大スターだった山本富士子さんとの結婚で丈晴さんもそうとう追いかけられたそうです。現在でいうところのパパラッチ?

夫婦仲は?

山本丈晴氏は元の名は古屋武治さんと言いますが師匠の古賀政男さんの養子となった時期があり、古賀丈晴と改名、その後山本富士子さんと結婚しますが山本家に跡継ぎがいなかったので婿養子に入る形になり山本丈晴にとなりました。
たくさん名前変わったんですね。山本丈晴氏は作曲家として山本富士子さんの出演したすべての舞台の音楽を担当しています。すごい夫婦愛?
ほかに三橋美智也さんや村田英雄さん、美空ひばりさん、春日八郎さんなど昭和の大物歌手の楽曲もたくさん作ってきました。
ご夫婦での番組出演や司会をご夫婦二人で担当した番組のあった様子。丈晴さんが亡くなるまで良いご夫婦だったんでしょうね。
1963年から舞台で復帰するまでの間きっと苦し時期だった山本富士子さんを支えてこられたんでしょうか。その間お子さんも誕生したし、妻として母として忙しくてあまり悩んでる時間もなかったかもしれませんが。

今現在は?

山本富士子さんは最近戸建ての住宅からマンションに移っています。まあもし一人暮らしだとしたら戸建ては手入れや防犯の面でも心配ですからね。最近のマンションはバリアフリーだし、きっとマンションは住みやすいと思いますよ。

宇野昌磨との関係について

フィギアスケートの宇野昌磨さんと山本富士子さんの名前がなぜかネット上で並んで出てきます。なんでも宇野昌磨さんのお祖父さんと山本富士子さんがお友達だということで山本富士子さんは宇野昌磨さんを応援しているそうです。
宇野昌磨さんは山本富士子さんのことご存知なのかしら。。

最後に

山本富士子さんてとても有名な女優さんなのにあまりテレビでも見かけないのはなぜかしら。。と小さいころから思っていましたが、日本映画界との軋轢とかいろいろな問題があったんですね。映画界を去ったあとはほぼ舞台での活躍のみでテレビドラマには数作品出演されただけみたいです。

これからも身体に気を付けて過ごしていただきたいと思います。

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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